悲観という思い込みから引き戻す手段

落ち込んだ時とか気分があがらない時には

尊敬している人の言葉を積極的に摂取する。

もう言葉を、言葉の中にある姿勢を、浴びまくる。

 

その前に大事なことがひとつ。

今の自分にとって何が必要なのか。。。

気をつけなきゃいけないのは

「疲れている」のか「不安や壁にぶつかってることがあるのか」のか

自分がなんで気分があがらないのかを認識すること。

 

ときに自分にとって自分の主治医のように

「今日はどうしましたか?」と聞いてあげることが必要。

 

理由によって出される薬が変わるように

今の自分にとって必要な薬を自分が決める必要がある。

 

冒頭に戻り、あなたはどんな人を尊敬しているだろうか。

私が尊敬する人達は基本的に辛口で毒舌で厳しい人が多い。

でもそれはただ口が悪いとか愚痴ってるわけじゃない。

自分の中に哲学があって仕事に矜持があるからこそ

細部を見ることができる。

細部を見ることができるからこそ

世の中や人間のいろんなほころびに気が付くことができるのだ。

 

そんな人達から発せられる鋭い言葉に

共感しエンパワメントされる。

自分の背筋が伸びる。

彼女ら彼らのような誇りのあるあり方を目指したいと感じる。

 

基本的にわたくし天邪鬼を楽しむところがあるので

「リュックなんて男にもてないよ〜?」と人に言われれば

「え、まじすかそうなんすか?じゃ一生リュックでいきますわー!」と

思うタイプの人間なのだけど

尊敬する人の言うことは

あっさり素直にまに受けてきく馬鹿素直な傾向がある。

 

先日の落ち込んだときに聞いた尊敬する方のお話がこれ。

「鈍感な人間とは仕事をしたくない。

ーどんな人間が鈍感にあたるかはここでは省略ー

鈍感な人間というのは真面目な人間に多い。

真面目な人間は言われたことや決められたルールの中で真面目に行動をする。

協調性があるとも言えるけれど全体を見る目、仕組みを疑う目がない。」

というような内容のものだった。

 

これを聞いた時に「全体を見る目」という言葉が心に残った。

「確かに私はうまくいかないときって全体を見る目を忘れて

視野狭窄になってたかもな。

よし、そしたらもっと俯瞰してもう一度今の取り組みを見直してみよう」

となり、

その言葉をきっかけにして落ち込む前よりも

さらに前進に繋がった。

 

しょへとも「真面目」についてこんな話しをしていた。

子供の頃は気にすることが少ないからこそ

サボったりルールを無視して好き勝手やって危ない目にあったりした。

けど大人になって経験を積んで先のことや周りの人のことも想像できたりすると

真面目になりすぎてしまうことが多くなったりするよねって。

 

だけど自分の人生の目的とするところはそこなのか?

「周りのことや今までの経験に縛られて

可でもなく不可でもない選択をすること」ではない。

 

そんなことは私の中の暴走する私が

そんなつまらねえ生き方すんじゃねえよおおお!と訴えかけてくる。

そして真面目で硬くなりがちな私と衝突するのだ。

生き辛いですねえわたし。

これぞまさしくブレーキとアクセルを同時踏みするといわれる由縁。

 

そして落ちたときにするもうひとつが、妄想するのだ。

私が尊敬する人に、

「なんかもうわからなくなっちゃった。めんどくさくなった。

全部やめちゃおっかなー」と話したらなんていうか。

おそらく説教コースだというのは簡単に想像できるけれど

説教の中で「そこでやめるのはもったいないって!」と言われるような気がした。

そしてそう言われたと妄想すると、

妄想の中だけど少しやる気がでるのだ。

これも馬鹿素直がきくので、私の場合は妄想でも良い気分になれる。

なんて自分にとって都合の良い暗示だろう。言われてないのに。

 

しかし運がある人は自分をついてるという傾向にあるという。

「ついてるかついてないか」なんて、ものすごいあやふやなものだ。

自分がそう信じてるか信じてないか、それだけの話。

だけどそれひとつだけでも世界の見え方が変わる。

いつもついてないな、と思って生きるのと、そうでないのとでは。

 

そう思うと、自分にとって都合の良い暗示というのは

あながち馬鹿にできたものじゃないと思う。

 

そして落ち込んでるというのも、不安というのも、

それは「悲観」という状態だ。

現実の出来事はただの出来事で、

そこに感情という色をつけて出来事を見ているのは自分だ。

 

 

悲観というのはついてるついてないと同じように

あやふやで手でさわれない存在だ。

それを選択するか、しないかを決めることはできる。

 

 

私にとっては尊敬する人のケツぶっ叩かれるような言葉が

悲観という思い込みの中から現実に引き戻してくれる手段なのだ。