自分のしていることの’本当’はどこの誰のためにあるべきなのか。

風邪をひいていると省エネモードだからか

すこぶる内省がはかどる。

ふっとばしてしまった予定や人々には申し訳ないのだけれど

個人的にはとても良い機会だったのかもしれない。

 

昨日、とても憤りを覚えることがあったのだけど

それも体調により静かに憤りを覚えたもんだから

憤怒にならない憤りの方が恐ろしいものかもしれないと思った。

 

この、決して消化しないし、してもいけない憤りを

どう今後の人生を使って向き合って、形にして、

行動していくのが良いか今日も考えた。

 

おまけにその憤る気持ちに背中を押してくれるように

めちゃくちゃ素敵で背筋ののびる出会いが繋がったもんだから

いっそう気合いが入った。

 

自分達にできることから本気で社会を変えようとする人達がいる。

その存在そのものが希望だ。

私はこの希望の存在を信じている。

その希望は私もなれるし、もちろんあなたもなれるものだ。

自分を低く見積もらなければね。

 

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自分のしていることの’本当’はどこの誰のためにあるべきなのか。

 

憤る出来事を前にして、改めて自分に問いかける。

でも、もう自分が無意識に音楽を作っていた頃から

ほんとは一貫して存在している。

それを意識的に作り手の私自身が認識できるようになってきた。

あぁ、この道具の使い方はこうするべきなのか!

それがわかれば、ずいぶん扱いやすくなる。

どこの島を目指すか、方角が定まる。

 

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20歳を超えたなら収入も学歴も過去の経歴も関係なく

「今、社会を作る大人のひとりとして

どういう心持ちで生きて、活動していくのか」

こういう所に興味・関心・熱量・信念のない人間とは

私はこの先に活動を共にしないだろうと今日強く確信した。

いずれ歩調が合わなくなると思うから。

 

中途半端、生半可な意識での音楽&活動ではなく

本気の人と、想いを呼応しあって刺激しあって広げていきたい。

それは自分自身にも常に突きつけられてることでもある。

でもそれはめちゃ厳しい・きつく生きねばとかではなくて。

むしろ本気で生きないことのほうが

色々きついよなって思う部分が私は強くあるから。

 

特に舞台上で音楽を共に奏であう人間は

なおさらに血を飲みあうくらいの心意気でもって奏でたい。

私の信念や想いに強く共感するものじゃないと駄目で。

本当に切実に必要としている人がいるところへ届けるためには

半端な気持ちでは決して届かない。

 

そう自分に静かなる喝をいれ続け

喝と共に、持続可能な生活環境&肉体も同時に作る必要のある

ほんいきの段階に入ってきたなと思う。

全ては生活の土台が肝心だと思っている。

今回の体調不良はそこの念押しみたいに感じた。

ある意味スタート地点に立った感じ。

早く治したいけど!この状況ででも決められることが色々ありそうだ。

 

ああ、メンタル的にとっても良い

成長のステージに入ってきてるかもしれない。

その予感がする。