愛は何度だろう

そんな事をふと考えた

体温くらいか もっと熱いか もしかしたら少しひんやりしているのか

 

意味というのは自分で決めるものなのかもしれないと思った

生きるということに意味をどこかから求めるのではなく

待つのではなく

自分で決めるものなのかもしれない

この世界や情報は 自分の目で見ていないから

何てぼんやりとした曖昧な世界に住んでいるんだと目眩がするけれど

 

その中でも自分が見てきたもの感じたもの聞いたもの

触れたもののなかで

信じると誓えるものを 何かを不利に、敵に、裏切りにあったとしても

信じると言えるものを自分の心でもって見いだしたい

 

友達とそんな話しをしていて

「信じるにあたいするもの」なんて言葉は傲慢だなといっていた

保証がなければ動かないのか

愛されなければ愛さないのか それならば 明日にも昨日にも行けないな

 

何故生きる 何故歌う 何故 人からしたらくだらないようなことを

私は真面目に考えて生きる 意味を掴みたい

 

意味

 

私と君が出会った事に 惹かれあったことにどんな意味があるのか

それを空に問うても 何も答えは出てこない

自分の心が答えることだろう