突然出会った。

数あるシナリオの中から

あの道を選んだのは

僕自身も驚いたけど

それまでこれが自分だ

と思っていた自分が

表層的な部分でしかないことに

薄々気付きだしていたから

今思い返してもそれが一番納得がいく

 

そこから僕は水中深く潜り込んだ

表層的な自分を納得させるための

正解らしい言葉ではなく

面白くないものに中指を立てるために

蓋を開けた底にいる臆病な自分に

さぁ、お前が自由に遊ぶ出番だと

スポットライトを当てるために

 

筆を手にする

ここから僕の描く物語は

未来へ繋ぐためのバトンでもあり

僕自身の過去へのけじめでもある

 

そして僕より少しだけ年下の

僕の大切な人に対する誓いでもある

僕を忘れるでしょう

 

暗闇を手探りで歩いている

ここには誰もいないはずなのに

どこからか足音が聞こえる

たまに立ち止まったり

また歩く音が聞こえたり

僕もまた立ち止まったり

訝しげに足音を立てずに歩いたりしていた

ここは真っ暗闇だから

誰もいないと思っていたよ

今も少し思っているけれど

この道の途中で

他人の指に触れる日がくるなんてね

君もまた手探りのまま

この日まで歩いてきたんだね

指先で髪の毛

顔 首 体を触って確かめる

いたんだね

ここにいたんだね

僕だけじゃなかったんだ

優しく抱きしめなくていいから

僕を傷つけてくれないか

その方が君をずっと覚えていられるだろう

僕はずっとひとりなんだ

これから先も たぶんだけどね

孤独は人に打ち明けられるもんじゃないよな

でも君がもしそういう相手と巡り会えたなら

その時は簡単に離しちゃだめだよ

大人になんてならなくていいから

孤独を通わせられる人と巡り会えた時は

涙が出るほど好きになる時だよ

涙が光る 暗闇の中で

泣きながら笑いながら抱き合えばいい

不愉快の正体

このブログを見ている方の中には

私のことが好きではない人もいるかもしれない。

例えば「好きじゃないけど何か気になる」とか

「むしろ気に食わなくてケチをつけたいから見てる」とか。

 

興味があるというのはとても大切な事だ。

自分以外の他人という事

においての興味は広く持っても

特定の誰かを嫌いになるほど

個人的に人に興味をもつことがほとんどない私は

嫌いだな!と思う人がいない。

 

私の便利な性格だなと思うことのひとつに

結構いろんな人を傷つけてしまったな

と思うことはあっても

あいつにこんなに傷つけられた

と思う人がひとりもいないことだ。

その時は腹がたっても、

傷つけたな!と思っても、尾を引かない。

 

車で人とよく喧嘩していた時期も

その人が嫌いだからしていたわけではなくて

その人のした行為が気に入らなくてしていた。

だから、根にもたないのだ。

その気に入らない部分を憤慨したら

もう終わりなのだ。

 

私は、嫌いな人はいなくても

人のしていることや言っていることに対して

腹がたつことは山ほどある。

たまに、

「どうでもいいから腹がたつこともないしぃ♪」

というモードの自分になる時があるけれど

そういう時は大抵、

楽をしたいと思っている時なのだ。

 

この不愉快の中にこそ

自分を知るキーワードが隠されている。

何かに腹がたつということは

動物的にも正常なことである以上に

その人がその人であるために

とても自然なことなのだ。

 

「この人のここが不愉快」

という所に着目する。

どういう事に不愉快になるのかを挙げていく。

私の場合はその不愉快な部分が

自分の中の

「直したいと思ってるけど直せずにいる。

自分で認めたくない自分」

である事が多い。

直視したくないから人に見せつけられると不愉快になるのだ。

「あーもう!見ないでおいたのに!」

となるのだろう。

これは意識しないと気づかない。

 

例えば

「この人自分に甘いな、だらしないな」と思って

イラっとする事があるが

もろに自分に当てはまる。

 

 

あとは羨ましいという場合もある。

「なんで私は我慢してるのにあいつはやってるの!きー!」

言葉にすると情けない。

例えば車の喧嘩はそう。

これは羨ましいとは違うのだけれど。

「どうして私は周りの車にも気遣いをしているのに

あいつは気遣いをしないんだ!きー!」

という所だろう。

そんな事は相手からしたら知ったこっちゃねぇ、

という感じだが

大抵の世の中の怒りは

「知ったこっちゃねぇよ…」というくらいの

些細なレベルが大半なのだと思う。

自分の美徳に反する、という場合ももちろんある。

大体の不愉快がこの3点のうちに当てはまるのではないか。

 

そう思うと、不愉快の中に自分の中に隠してある

感情を知る事ができる。

とっても大切な存在なのだ☆(ハム太郎風に)

 

愉快なものの中にも自分を知ることはできるけれど

大抵痛みを伴わない実感というのは

考えなくてもわかることが多いため面白くない。

自分がみたくない自分

自分が不愉快に感じる人

というのは

とっても面白い存在なのだ☆

そんな事を今日は考えていた。