歌声には生き方が出ているような気がする。
歌う人間として歌い方を意識したり研究する
二十年も歌をうたっていると
機械を使い、音程通りに歌を直すというやり方にも
少し違和感を感じることも出てくる。
ギターもそうで
チューニングチューニングという人もいるけど
確かに周りとの調和
聴きやすさを考えるとそうかもしれない
それが大事な時は多いかもしれない。
けれどそのなんとも言えない絶妙な音のニュアンスに
何を感じるか、何を想像するか
という遊びも大事なのではないかと思う。
渚ようこさんのボーカルを見ていた時に
本来のボーカルの音程よりも
ほんの少し上に歌っていた。わずかに。
それに対してなんとも言えないブルースを感じた。
音程よりも若干上だからこそ伝わる表現。
歌の着地の仕方。入り方。伸ばし方。
歌い方には様々な表現の仕方がある。
私は昔エンジニアさんに
「普通は声を大きく出すと、
だんだん弱まっていくんだけど、
シギは最後の最後に音が大きくなる」
と言われた事があり
これも、自然さや普通を考えると
違和感に思うことなのだけど
これこそが人間の出っ張りなのかもしれない
と私は今思う。
ハードコアの中でやっていた時に
自分ひとりがあの爆音の中で
弾き語りで出ていかなければいけない
その時の不安と負けるもんかという気張りが
その後の私の歌に与えた影響は大きい。
それが、大声が最後に弱まわらずに
最後の最後に大きくなるという
私の中での命が大きく主張している瞬間
が表れている気がする。
歌のうまさには色々なものがあるけれど
その人の生き方が表れている歌手が好きだ。
それは滑らかでなくてもでこぼこでも構わなくて
その人の生き方が表れた歌声が
唯一無二の素晴らしさだと思うから。
AIが表現しきれない、
その人にしか出来ない表現。