生きている意味に触れた。

絵を描いていて

自分のやり方というか形というか

何かしっくりくるものが見えてきた。

 

これがその最初の作品。

キャッチーかと言われると、そうではないかもしれない。

けれど私の中ですーっと心に入ってくるような

いや、絵にすーっと心が入っていくような感覚がした。

 

道具を使うのをやめにしたんです。

指で描こうと思って。

最初は手袋をはめて、描いて見た。

そうすると筆では表現できなかった動きがだせた。

 

今日描いた作品。

これも指を使って。

綺麗でフラットな作品を見ているのが好きなんだけど

私がそれをやるとなんだか心が落ち着かなくて

うーん見る分には好きなんだけどこれじゃないかも感

が心のどこかにあった。

悪くはないんだけど これだ! って感じじゃないかんじ。

 

数日前にシギの音楽で表現していきたいこと

どんどん鮮明になってきてから

この「海」から始まった絵の別プロジェクト

そのコンセプトも決まった。

シギに寄り添いながら でも

シギよりももっと広くて大きなものが表現される場所になると思う。

 

人間であることの意味

そういう逃れられないものを

シギはもうまっすぐ見つめることにした。

内的葛藤を超えて社会の中で苦しみも愛も見つめる。

この絵のやつは(まだ名前を決めていない)

人間であることの意味を超えた場所に設定したい。

意味を超えたい。

人は現実を生きていかなければならない。

現実を生きていくための薬と

現実から遠く遠くもっと意識を解放できるための薬

ふたつの作用を人に届けたい。

そんなことを思っている。

 

これが私が生きてきた そして生きている 生きていく

意味なのかもしれない。

触れられないけれど 確実に感触があった。

このために命を使っていこう。

僕らの愛を生かす

宇宙の中で深呼吸をしているような心地がした

君の肌を感じているあいだ

僕らが断絶されたそれぞれの個体であるということを

愛おしく抱き寄せあえる時間

悲しみが僕らの周りに存在する事実を知るほどに

愛が浮き立つことを感じる

これは必然でも偶然でもない

確かに僕らが作り上げてきたものだから

息も出来ない嵐の中でも

深く呼吸をするんだ

安らぎはいつもこの胸の中に存在する

君が手を伸ばせば

僕がその手を受け取るように

愛とは育み そして守ること

そしてそこで生まれた温かい気持ちで

僕ら以外のものに祈ること

より広い場所へ流れ込ませていくこと

味わう。

少し前から育てていたバジルをお借りしてカプレーゼを作った。

綺麗な色合いだなぁ。

バジルちゃんもすごく良い味だしていた。

我が家には食べられる緑が揃ってるな。

昨日からはにんじんの緑も追加。

あとはシソ・ベビーリーフがもうベビーでなくなったものなどがいる。

 

昨日は記念すべき日だったので幕張でブッフェを堪能。

私ブッフェめちゃくちゃ好きなんだよなぁ。

好きなものを自分の量食べられるって最高。

最近ひとつひとつのものや時間に関しての味わい方が

今までに比べてすごくじっくり味わえてる気がしている。

時間を味わう、というのが前よりうまくなってきたかも。

 

アウトレットも寄って7kmくらい歩いて今日はたっぷりと遊びを満喫した。

事なかれ主義

youtubeの個人アカウントを使って

いつも見ている人にいいねする運動をしていたのだけれど

最近はコメントデビューをした。

 

よく見ている動画に、否定的コメントがあるのを発見し

しかもその動画にはその否定的なコメント1つしかなかったので

その動画を見に行くとそのコメントが目立っている。

発信してる人がこのコメントを見たら嫌な気持ちになるだろうなあ

フォローのコメントをしてる人が他にいるならまだしも。

と、思い、否定的なコメントに返信するではなく

私は私でコメントを書いた。

その否定的なやつっていうのが、内容に関してならまだしも

「CMが多すぎてストレスがたまった」みたいなもので

いやいやいや貴様は知識と経験と時間を使って発信してくれてる人に対して

しかもCM料を払っているわけでもなく

無料で受け取っている人間がそんな心無いことを言うかね。

それで発信者がいやになってやめたらあたしゃいやよ。

と思い、発信者に感謝の言葉と、何かああいう意見もあるようだが

私は気になりません、などというような内容のコメントをした。

これがコメントデビュー。笑

しかもCMも1時間の動画の間に数本しかなく

テレビよりはよっぽど少ないと感じた。

 

こんなのはきりがないから相手にしない方がいいっていう人がいるのも

その意見もわからなくもないんだけど。

私もフォローしてる人がいたらコメントはしなかったし。

 

だけど私はこう思うんです。

いじめられてる人に対して、「いじめてるやつなんてどうしようもないんだから

相手にしない方がいいよ」なんてアドバイスする?

またよくあるけど、ネットで悪口を言われている相手に

「同じ土俵に立ったら同じになるから相手にしないほうがいい」

 

この「相手にしないほうがいい」方が賢い、上だ、みたいな感覚を持ってる人を

たくさん見るんだけど、

そりゃ言う方はそれで終わるからあれよ。相手にするなで言って終わりよ。

でも、いじめられてる人は?悪口言われる人は?

「相手にしたらお前も同じだぞ」と言われ、何もすることを許されなくなるという

サンドバック状態になれといわれてるも同然じゃない。

そんなのはおかしいと思う。

 

私が仲間や友達やファンの人だったとしても

何か一方的に嫌な目に合わされていたら

チャゲアスばりに殴りに行こうかモードになるけど。

「相手にしないほうがいい」だけはいわない。

「なんなら私がそいつの相手になってやろうか」はありそうだけど。

 

相手にしない方がいいっていうのは、逃げているのと同じだ。

いじめてる人といじめられてる人、叩かれる人と叩く人、

その構図が出来上がった以上は同じ土俵になっちゃってるんだから

相手にするしないに関わらずその現場は起こってしまっている。

 

自分が支持までしてなくても、好感をもってたり応援してたり

良いなと思ってる人なのだったら

その人に何かが襲ってきたときに、

相手は当事者だから言えないことも多いだろうから

そういう時にフォロワーがフォローする方が良いと思う。

 

が、ここまでこう書いたけれど

最近堀江さんのマスクについてのことで

お店と揉めたという件の話は

堀江さんのフォロワー(かそれを装った人か)が

大量にお店に苦情の電話をかけて営業が困難になったという話もあった。

祭りに乗っかれとかストレス解消のはけ口として

利用している人もいるけれど

そうであってはいけないと思うので

その事と私が今話している事は同じになってほしくない。

 

しかし私が言っていることも、盲目的になってしまったり

ストレスのはけ口になってしまっては

同じような道のりを辿ることにもなりかねないとも感じている。

だから自制する心というのはこの世の中では本当に求められる。

自制というのは教わることではないし口にされる機会も少ないから

自制心というのがわからずに

ただ思ったことを言ってしまう人がたくさんいる。

 

私の発言ひとつ、それを良い風に受け取る人もいれば

悪い風に受け取る人もいて、

悪い風に受け取られる可能性があるとわかったうえでも

言った方がいいと自分が感じたことは発言する。

それが承知の上での発言なら、何かが起きても

それは決断した私の責任になる。

そう思ったうえでの発言なら、何がきてもある程度は想定の範囲内になる。

 

自制ばかりをしていても逃げグセがついてくる。

なんでもかんでも戦う必要なんてないけれども

それでも「それはどうなのよ」と思うような攻撃をされていた場合

(そして攻撃をされている相手を私が好んでいる場合は)

いちいちその好む相手をフォローしようと思った。

本当にどうでもいいことだしくだらないことなんだけど、

いわれた方というのは確実に傷はつく。

いわれた方はどうでもよくないんだよな。第三者が思ってる以上に。

 

 

くだらない正義感みたいなものだけど、

誰にもフォローされずに攻撃されている人がそこにいるのを

見て見ぬふりするのはかっこ悪いなと思う。

くだらない正義感もかっこ良くはないけれど

どちらかというと、見て見ぬふりするよりは良いなと思った。

旬なり。

10月の1週目は多忙の極みだったので

料理もあんまりできずで外食か出前に助けられていた。

今日はだいぶ余裕ができてきたので

青唐辛子味噌や肉じゃがや秋鮭のパン粉焼きやししとう炒めなど作った。

柿を買ったので食後に。

去年は実家出て1年目で海外行ったりも重なったので

過ごすだけでもてんてこまい手探り感あったけれど

2年目の今年はライブなどのスケジュールもなくなったために

ゆっくり自分に向き合いつつも

その中で旬の料理を味わうことが達成できててかなり満足感。

生活みたいなものを味わえている感じがしているなかで

必然の如くシギのことにもどっしり向き合えている感じ。

今日見た映画の中でも思うことがたくさんあったり

昨日はおまおれな哲学者を知っておおおおっと思ったり

なかなかに心も刺激的な出会いをしている。

そんでもって今月は食欲の秋にもなりそうなので

今から楽しみなんだ。。

食べて運動して頭使って作っての今月は欲張りな月にしちゃうよ。

自分で行く。

voxを使ってるようでいて使っていない写真。

 

昨日今日とスタジオで集中的に歌って

それ以外は撮影とか編集とかに集中していたので

この二日間の疲れがハンパない。

てか思い返せば今週は海も行ってるし

イクスピアリも行ってるしその後スタジオ2連ちゃんかつ

撮影と編集の嵐ならそりゃ疲れるわ。

マックスで自分を使った感じ。

 

帰りにへとへとで歩いていると

女性が声をかけてくれて

宗教の勧誘かなと思ったら

私が良い目をしているということと

心よ!心!頑張って!と応援してくれた。

歩いているだけで応援してもらえるなんて

すごく嬉しかった。

そうだよな。心だよな。

私はまさに、心だけで歌ってきたようなもんさ。

この先もそれだけは忘れずにいこう。そう思った。

なんだかここ数日で

私は「これから本番がいざ始まる」という心持ちがしていたから

その女性をかりて私が忘れてはいけないことを

念押しされているようで

そしてそのうえで背中を押されたような気がして

印象深かった。

 

 

昨日はすごく象徴的な出来事だったり

夢だったりを見て

それもこれも私の中の

「いよいよ本番を生きていくとき」感がすごいので

(何か理由があったわけではないのだ)

なんだか不思議な心地で編集などしながら生きている。

 

 

今までいろんな箇所でいろんな気持ちが浮かんでいたのが

綺麗にひとつに集約されていくのを感じている。

準備ができたからだよっていう感じがする。

 

今日はスタジオの前にエスカレーターに乗っていて

「この先に会う人たちを迎え入れるための

時間がここから始まるんだな」とふと言葉が浮かんだ。

もう出会っている人も、この先出会っていく人も。

変な感覚がここ数日しているんだな。

 

観念してもう寄り道はせずに行こう。

10月になりんす

今日も今日とて朝に起きて撮影や脚本書きやら。

途中シソにハダニが発生してることが判明して

ハダニも生きているがシソのために

止むを得ず泣く泣く殺ダニ剤をぶちまけた。

すまん!!!!!憎くてやってるわけじゃないんだ!!!

選択というのはかくも残酷。

 

イクスピアリに行き映画「booksmart」が

しょへすんから激推しされたので見に行った。

映画を観る前にパイ屋さんでパイを頬張る。

(前夜からパイ屋に行こうと思い楽しみにしていた)

映画館にいざむかったら1時間間違えて追い出される。

近くのベンチで途方に暮れつつ原稿書きにあてる。

そして映画へ。

もう最高も最高の最の高でした!!!

音楽も最高だった!

アンダーソンパークが最高のところで流れて激あがり。

みんなにも見て欲しいけどもう終わりなんだよな多分。

いや〜くだらないって最高だなあ。

あそこまでの青春はしていないけれど

私もバカなことやってたな〜と昔を懐かしんだ。

映画館でてからはイクスピアリを楽しむ

学生を見ていて、ええねぇなんて思った。

青春はもうこないなんていうけれど

私はそんなことは思わずに

いつでも今が一番の青春にしたいぜ!と思うタチなので

(私の性格の特徴がおおらかで楽観的というのがうなずけるこのタチ)

もっともっと楽しみたいなこの人生などと思った。

くだらないを楽しみたいね。

ちびまるこちゃんもそうだけど

世の中ってのはコメディだよなぁ。