昨年後半からシギとしてのあり方、シ組の活動を集中的に考えた。
そういう「これを決めてやるぞ」という気持ちで動いていると
それ以外の物事への影響も出てくる。
顕著なのは「集中したいものがあるから他を削る」ということ。
「明確にやりたいものが見つからない時」
「のんびりしながら生きていたい人」
というのは、いろいろなものに触れたり
ゆっくりしながら生きるのがいいと思う。
私も自分が浮き草のような感覚がしていて
外に正解を求めたり
「何か良いことないかな」と思っていた時期はかなり長く
だいぶ遠回りをして生きてきたと感じる。
それが無駄なことだとは思っていない。
そういう迷いの時とかあそびの余白の部分がある方が
歴史としては面白みがあると思う。
けどそういう時って、いつもどこか満たされなくて
心の底の方がだるく、重く、息苦しかった。
すがすがしい空気を吸えてない感じ。
今は、自分が集中したいことが明確にある。
そのことを考えたいし、そのために行動したい。
自分の中で意識がかたまったからには
ご縁だからと誘われた集まりに顔を出したり…
そこまで考えもせずにライブを引き受けたり…
そういう「なんとなく」なものを0にする必要がある。
今できることに集中したいし
今、一緒にいる人たちを大切にしたい。
それはプライベートもそうだし
シギでも、シ組のメンバーみんなもそう。
ライブに来てくれるお客さんも、シギを愛してくれる人も。
今の自分にはちょっと背伸びしてでもやっつけたいことがある。
それが自分を好いてくれる人に対しての責任だと思っている。
頑張ってたら、弱気になったり不安になったり弱さって出てくるけれど
それに対して強がることはせず自然体でいたい。
けれど、自分に対してだせえよお前って思うことを
自分にしたくない。
私の音楽に影響を受けた人のためにも
シギというものの重みというのをしっかり抱いて
その上で楽しいこと刺激的なことをどんどんしていきたい。