「さえない人間が圧倒的多数である」という話しを聞いた
確かに私もさえない時間が多い
脳みそに膜がはっているような感じがする時がある
あの時は大抵さえていない時だな
意識の問題である気がする
どれだけ日々を自分が意識して動いているか
無駄な動きが多いな私は
まるでまるちゃんだよ
だけど最近自分の中でひとつだけ意識しているのは
「Aも良いけどBも良いよね」という事は言わないように気をつけている
「それもありだけどこれもありだし難しいね」というのは考えなくてもいえる言葉であって意見ではない
意見というのは自分なりの考えの元に生まれるものであるから
「どちらも良いことなんて百も承知でそれを前提にしてなお自分はどちらを選択するか」
そういう事を意識して毎日を生活していきたいと思っている
これは良いことに限らず悪いことでも、思想の事でも、人間関係の事でも、
往々にしてこんな話しは多い。
そして議論になると「〇〇さんもわかるけど、〇〇さんもその通りだし、どちらの意見も私はわかりますよ」のような台詞はよく聞く。
それを客観的な意見だと思っていては
物事は何も決まらない
やはり選択し決断しないことには
眺めているだけでは流れのままに泳ぐ死んだ魚と同じではないか
頭を使うんだ