苦しみの間に

私は気晴らしに公園に行きました。

なんでわざわざ草木のあるところに気晴らしにいくんだと自分でも思いましたが、

自然があるところが好きだからです。

 

車に乗って走ってると、すごい大きい鳥カゴがある家があったり(2メートルくらいの高さ)、

家の二階が植物園のように草木だらけになっている家があったり、

「世の中にはまだまだマニアックな世界があるんだな・・」と思いながら

観察している時間が好きです。

特に山の中の風景にはかなりのマニアック度の高いものがあるので、

海も好きですが山道を走るのも好きです。

 

あと田畑を見るのも好きです。

あの広々とした世界。

これから田んぼの美しい季節がやってくる。

そう思っていると鼻づまりもやわらいでくる気がする。

 

そうか。。ものは考えよう。

ということで、鼻づまりがしている時は、

「きっと今私の周りの空気はものすごく臭いから鼻が『嗅ぐなよ!』と察知して

私に言ってくれてるに違いない・・」

「んなわけあるかー!!」

とまた鼻づまりのことで私の想像が飛躍してしまいます。

 

なんだ、楽しそうじゃないか、なんて思わないでください。

SETSUZITSU・・!

 

ちなみに公園は公園なのか、山のなかじゃないのか、、?

というくらい険しいものでした!

運動不足にはもってこいじゃ!と思いながら、

50mくらいのぼって帰りました。

写真 1-1

 

こんな感じで 今日は暖かかったので気持ちよかった

写真 2-1

 

見晴らしの良い場所にて。

冬の夜は星が綺麗なんだろうなー!

写真-2

 

どんぐりが沢山落ちててめちゃくちゃテンションがあがる。

沈黙の息吹達よ。

美しいなぁ。。

 

「さようならみなさん

私は鼻づまりが辛いので黄泉の国へ行きます」

という遺書を書こうと思うくらい花粉がひどいですよ。

 

歌録りを昼間から夜までやってたのですが、

喉もそのせいで痛いです。

オレンジジュースの飲み過ぎが原因ではなかったのです。

でも痛む喉にオレンジジュースは染みる。痛い。

 

今日は鼻づまりで相当苛々しました。

普段の生活ではどうでもいいのですが歌が入ってくると別です。

思わず録音している途中で「鼻づまり」で検索してしまったくらいです。

そしてネットに出てきた「劇的に鼻づまりがすっきり!」という方法に、

「んなばかなことがあるか!そんなもんがあったらな!私はこんなに苦労してないだろ!!」

と半信半疑ならなぬ全疑惑の元それをやってみる。

「・・・ほんまや!」と鼻がすっきり。

「ネットも侮れぬな・・」と感謝したのもつかの間、5分ほどでまた詰まる。

「ふんぬー!!!!!」とまた苛立ちが爆発する。

「鼻づまり 手術」で手をふるわせながら検索する。(緊張)

「全身麻酔 入院2週間」の文字が目に入る。

「む、む、む、、無理だーーーーー!!!!」と叫ぶ。

この一度も入院をしたことのない私が!この、歯に麻酔をかけたことしかない私が!

無理ー!!

 

この戦いが秋まで続くとは。。耳鼻科にいったとしても、、。

あなたの鼻をください!と思わずすっきりしてそうな人に話しかけたくなります。

いや、むしろ鼻いらないんじゃないの?とさえ思ってしまう。

そもそも鼻ってなんであるの?とその存在価値さえ疑ってしまう私。

いかん。鼻と決別するところだった。ごめん鼻。鼻呼吸させて。

 

馴れ合いに魅力は感じませんが、花粉症同士の馴れ合いには魅力を感じてしまいます。

そして「あいつら、、この苦しみを知らないなんて。。くそ!」

と小さい恨みを抱きながらすっきりした鼻達を睨みたいです。

そして「あー、なんか今年から花粉症になったっぽい」という人には、

「おめでとーーー!!待ってたよー!さ!一緒に苦しもう!」と迎えたいと

ここまで書いたが醜い!

全く不自由さは人を醜くするのだな。。

 

なんとか手術しないでも良い方法がないものかな。。

鼻水はたらしておけばいいものとして、鼻づまりはどうしようもないものな。

 

歌録が終わってからというものの、

「あぁ、鼻づまりが完璧に解消されるなら私は変わりに何を差し出すだろう・・」

ということを想像していたのですが、

「3ヶ月毎日一日一食しかご飯を食べられない」という条件しか浮かびませんでした。

なんか・・ちっちゃい!

 

 

共食い

今日は、姉の家に美味しい焼き鳥が届いたので、

焼いて食べることにしましたしかもバーベキューコンロで。

世間はホワイトデーだっていうのに私は焼き鳥ですよ。

 

マンション住まいには出来ぬこの自由育ち。

夜にやったので寒かったのですが炭の温かさが優しかった。

気分は焼き鳥屋さんですよ。歌う焼き鳥屋としてやっていこうかな。

だめだ、それじゃ仲間を殺して焼いてることになる。。

 

写真-1

焼き鳥をもらったのになぜか魚がいる。。

せっかくなのだからいろいろやろうというので魚もいれてみました!

美味しかったぁ!

もう炭に火をつけるところから食べ終わるまでが焼き鳥ですよ。

レバーもめちゃくちゃ堪能しました。最近レバーばっかりで良い感じです。

こりゃ早々に飽きが来そうだけどもったいぶらずに食べます。

 

相変わらず食べ物ネタばかりですみません。

今日は怒濤のラッキーデイ

写真 (41)

 

レバーをまた食べてしまいました。

一本百円!お財布に優しい!

ビールの親友!

 

そして。

なんのこっちゃと思いますが、

ドラゴンボールがそろいました。。

朱雀七星といっても差し支えないでしょう!

 

やったぁ。。

シェンロンにお願いごとするだぁ!

犬のキンタマ事件

この間、オオイヌノフグリが咲いているのを発見した。

毎年これくらいの季節になると、

綺麗な青色の小さい花が咲いているのを見つけて、

「あぁ、春が来たんだなぁ!」と

わくわくした気持ちになる。(それと同時に鼻水で地獄を味わう)

 

その事を誰かに話した時に(誰かは忘れた)、

その人が「オオイヌノフグリは犬のキンタマっていう意味なんだよ!」

という心ない言葉を私に浴びせかけてきた。

 

それからというものの私は昔のように、

「私、オオイヌノフグリがすっきやねん!」

と大きな声で言えない自分がいた。

「私、犬のキンタマがすっきやねん!」といっているのと、

同じ意味になってしまうのかなと思ったから。

 

だけどそれは大きな間違いだと今年の春に気がついた。

私は家に帰る道で、オオイヌノフグリに出会った。今日。

そしてやはり、「あぁかわいいなぁ」と思った。

これがやはり私の汚れないひとつの気持ちなのである。

 

そしてそれと同時に、「犬のキンタマの何が悪いんだ!」

という気持ちがふつふつとわいてきた。

 

周りから笑われてもいい。

君が好きだ。なんて愛らしい可愛い君。

誰が笑っても私は君が好きだと言おう。そして誇ろう。

 

 

誰のため

そう今は

未来への 散らかった空想を広げることも

過去の 捨てられずにいる塵を片付ける作業も

全てを一度横に置こう

 

鼓動を感じる

 

いろんな出来事に振り回されたり追いかけたりしていると

生きている実感を忘れてしまう

実感を忘れることこそ生きているという証かもしれないけれど

 

今は全てを横に置いて

鼓動をただ感じていたい

 

あの日の悲しみと 優しさと 苦しみと 親切と 涙と

全てが光となって

君を照らすよ

 

辛かったな

苦しかった

痛かったし

代わりたかった

でも優しかった

救われたな

愛を知って

歩きだせそうかな

 

たくさんの感情が

どれだけ混ざり合った事だろう

 

その感情がすべて音だったら

どんな旋律が奏でられていたのだろう

 

命はリズム

君の人生はひとつのアルバムのようだ

今は何曲目だろう

 

まだもう少し歌わせておくれ

 

君に聴いてもらいたい曲があるんだ

 

煩わしい事は全て置いておこう

今は

眩しくて

眩しい

雨の日も眩しい

最近はドラゴンボールを探す日々です

もうすぐシェンロンが登場します

登場したら「お菓子を食べたまま寝ても虫歯が出来ない体にしてください」

というつもりです。

大丈夫です、頭がおかしくなった訳ではありません。

少しおかしいのは元からですが、大丈夫です、たとえ話です。

ドラゴンボールを探すように、私にない力と脳みそを持った人達と話しています。

探しているのと同時に、どこかで探されているような不思議な気持ちにもなります。不思議。

にゅすけの話しをしよう

写真 (40)

 

不甲斐ない時間を送っている時に、

「こんな状態では会えない」と思う人がいる。

何かひとつ思う通りにいけた時に、

「これで顔向けができる」と思う人がいる。

それが私にとってはにゅすけなんだと、

この間にゅすけと話したら、同じことをにゅすけも思っていたらしい。

 

なかなかお互いがこう思い合える人間関係ってないんじゃないかと思う。

同性同士、お互いを尊敬しながら、

会えない時も思い出しながら、あぁこれじゃ会えない、あぁこれなら自信を持って会えると思いあえる関係を、友達という言葉で片付けられるのだろうか。

 

それぞれの場所でお互いの道を歩みつつ、見守りながら、それぞれ戦いに行く。

 

離れていてもお互いのことはきっと心の中にずっといるのだろう。

辛い時に苦しい時に、誰かに慰められるよりも、

「あいつがいるから頑張ろう」と思える存在に出会える事って、

なんてありがたくて大切なことなんだろうって心から思った。

こんなのどれだけお金持ちになっても作りたくても作れる事じゃないよ。

ありきたりな事いうけれど出会いってかけがえのないものだな。

 

書いててちょっとうるっとしてしまった。

にゅすけありがとう。

君がいたから私はくたばらずにいられる。

天国にいっても漫画書いてね。

 

という感じのしんみりした内容になりましたが存命です!!

にゅすけは存命どころか単行本が発売されてもう生きて輝いてます!!!

ネットでもにゅすけの本を買えるので皆さんどうかお手に取ってほしいです!

面白くてほろっとして思春期特有のお話なので、

主人公と同じような感じだった人もいるのかと思います。

私は音楽以外はぼーっとしてた時代だったのでへんこちゃんとは違うきもしますが。。

とにかく!

「ヘンコちゃんになりたくて」という本です。

ぜひぜひ読んでください〜!

人と人

人間関係ってのは一筋縄じゃいかないものですね

我慢を必要としない関係というのはあるのかな?

一ヶ月に一度会うとか、週に一度だけ顔を合わせるならまだしも、

毎日顔を合わせる関係柄だと、皆どこかで我慢しながら過ごしているのかな、

友達、親友、親、恋人、伴侶、親戚、祖父母、と人にはそれぞれ関係性があるけど、、

と今日話しをしていて思ったりしました。

そして友人に「私も敏感すぎるところがあるから、少しは鈍感になりたいものだよ」と話しをしたら、

「あなたは十分鈍感ですから!」と言われて心外な気持ちになりました。

はて・・。。

 

鈍感の前に、私は根っからの面倒くさがりなので、人間関係の煩わしい話しを聞くと、

「うげ〜。お菓子でもぽりぽりかじりながら歯も磨かないで眠りたいなー面倒くさい」

とか呑気な事を頭の中で考えてしまいます。

 

しかし「我慢」ではないのかもしれないな。

「折り合い」なのか?

いや、こういう微妙なニュアンスは言葉遊びの一種になってくるのでやめよう。

 

人が平和に生きられる方法を考えてみよう・・

まず・・

「1日100人に褒め言葉をいうの巻き」

これはしかも知り合い以外にも言わなければいけないので、

渋谷のスクランブル交差点とかですれ違う人とかに、

「お、おたくのネクタイなかなか渋いですな」と知らないおじさんに言わなければいけなく、

またその話しかけられたおじさんも相手に何か褒め言葉を言わなければならないので、

「そういうおたくも口ひげがたまらなくセクシーですな」

と返さなければいけないのであります。

うーん。しかしこれだと嫌みをいう人が出てきそうな気がするな。。

それもまた面倒だ。。

「全員毎日匍匐前進で歩くの巻き」

これは、駅まで向かう道とかで皆がほふく前進をしなければならないという決まり。

これによって、急いだために人とぶつかり

「何ぶつかってんだてめー!」

「あぁ?おめーがそこにいるのがわるいんだろーが!」

なんていうどうでもいい争いを起こるのを防ぐためばかりでなく、

たくましい肉体美の持ち主が増えるという利点もあります。

でもこれもなんだかピンとこないなぁ。。

女子高生のスカートがそもそもほふく前進するのに危険だし。。

女子高生は反復横跳びにしよう。進まないから!

 

やはり何か褒め言葉を言うのは悪いことではないなと思います。

さぁ、あなたも今日からまず知らない人3人に褒め言葉をかけてあげましょう。

でも私は遠慮しておきます。

 

私は夜中にどうしてこんなくだらないことをだらだら書いているんだ。

眠ろう。

公園に最近行ったかしら

写真 (39)

 

鳥達がこの寒い中水の中に入っていた

さすがである

このこ達には冷え性という言葉はないのだろうか・・

 

この間、体を動かしたいと思い都内の公園にいったときの写真

鳥が沢山いて梅の花も咲いていて平和だった

風が強かったのであまり体を動かせなかった

かわりに公園にあったすべり台をすべった

めちゃくちゃ怖かった

子供は毎日あんなスリルのあることをしているのか

おそろしい子供

尊敬します

 

すべり台楽しい

もっと長いすべり台を滑りたいけど怖い

怖いけどやりたい!

やりたいけど怖い!

どっちを選ぶ!

やる方!