大丈夫だよ。

めるちは元気にやってます。

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相変わらず正面だとかわいくないですねぇ。

そこがまたかわいいんですけど。

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横顔はかわいい。

 

もう今年で7歳。人間だと60手前くらいだそうです。

最近私がカーテンをあけて寝ているせいか

明け方になるとすごいハッスルして暴れ出します。

朝からひとり大運動会を繰り広げる60歳。元気です。

 

昔のめるちがこれ。

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あらー!なんだか心なしかしゅっとした少年のような顔つき。

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幼さが感じられますね。

 

ちなみに7年前の私はというと。。。

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どれが私だかわかります?上の段じゃないですよ!

髪ながかりし頃。真ん中です。

ちなみに左側の黒い帽子をかぶってる女性は

この撮影の時に出会ってこの時はスタイリストさんしてくれていたのですが、

それから付き合いがずっと続いていて

今も私の髪をカットしてくれている女性です。

もう7年の付き合いだ。これからもずっとお願いしたい。

凄腕のかっこいい女性なのであります。

愛について

3部作目を作るにあたり、涙と叫を最近よく聴いている。

するといつも君がいて僕がいたでジーンとする。

日常的なのになんて壮大なのだろうと感じる。

この間、君がいて僕がいたを書いていた当時の事を振り返っていた。

2年ちょっと前くらいだろうか。

あの曲を作るきっかけになった人の事も考えていた。

 

自分の欲から離れたところにある想いが、愛なのだろうと最近は感じる。

自分が得をしたい、損をしたくない、

自分をこう見てほしい、相手にこうしてほしい。

というような私心から離れて相手の幸せを純粋に思える気持ち。

君がいて僕がいたには、その想いが揺るぎなくこめられている。

自分という旅を歩く主人公に代わりはいない。

愛する人が病気になってもかわってあげることができないように、

人は自分の人生を生きることしかできない。

そこで人はひとりきりだと嘆く時もある。

それでも、ひとりで育った人間なんていない。

 

別々の人生を歩いて来た者同士がある日出会って、

互いの人生で背負ってきたものを自分のことのように想像し、

これから先に起こる困難を時には共に泣き、時には激励する。

 

そして自分の人生を歩いていく。

傷つけあったり憎しみあったり羨んだりする世の中に、

愛はきっととてもささやかな存在なのかもしれないと思った。

普段は「これが愛だ」なんて思いながらすることでもない行為。

ささやかでいて、

水のように途切れることなくずっと流れ続けているものなのかもしれない。

雪となり、雨となり、川となり、海となり。

人生でも音楽でも、共に歩いて、

共に幸せのためにこれから戦っていきたいと思える人達がいるということは、

きっと私の人生で一番幸せな事なのだと思う。

最近はひとりで黙々と作業する時間が今までにも増して多いけれど、

そんな時にも絶えず心の中に流れる水のせせらぎのようなものを感じる。

確かに、自分ではない人との幸せへ続くための道のりが今なのだと。

愛というのは雲をつかむようななんとなくな感覚でいたけど、

最近はこの考え方が腑に落ちている。